憧れのアコーディオン

島村楽器のお題「プレゼントしたい楽器」


幼い頃から自信を持って奏でられる楽器といったら、カスタネットくらいしかない私だが、(カスタネットと同時期に、最も触れる回数が多かったのは、ハーモニカだろうが、こちらは、ひとつの穴に、うまく息を吹き込めない。どうしても2〜3つの穴に空気を吹いてしまい、不協和音が生まれる…)小さい頃からあこがれている楽器は「アコーディオン」だ。


まず、その形からして魅力的だ。小学校にあったアコーディオンは、たいがい、深緑やワインレッドという、ちょっと大人っぽい色をしているし、縦に並ぶ鍵盤。そして、ピアノや、ヴァイオリンにはない、じゃばらの部分。音楽室にある楽器の中でも、子供ながらに異彩を放つ存在だと感じていた。


しかし、もとからのセンスの無さゆえ、小学校の合奏では、毎回、鍵盤ハーモニカどまり…あと一歩で、(楽器の種類的には?)アコーディオンっぽいところがまた悔しい。


フランス、ドイツしか海外には行ったことがないが、街中で、男の人がアコーディオンを弾きながら歌っていたりすると、思わずじぃっと見てしまった。アコーディオンは、さすらいにも向いているのだ。


しかし、中でもクラリと魅了されたのは、知り合いの70代のおじいさんのアコーディオンだ。それは、大学近くの集会所の奥にひっそりと置いてある。私が、アコーディオンが入っている箱の前に座って皆としゃべっていると、「パラドンマドモワゼル?」といいながら(ちなみに、彼は生粋の日本人)、アコーディオンを引っ張り出す。そして、演奏してくれるのだ。古いアコーディオンらしく、少し音に、雑音のようなものも混じるが、とても素敵な空間が、おじいさんのアコーディオンによってつくりだされる。


わたしも、アコーディオンを背負ってさすらいながら、皆に心地よい空間をつくりたいなぁと夢見る。自分へのご褒美に買って…みる?

なべやきうどん

今週のお題「寒い日に食べたい、あったかーいもの」

この前、このお題に答えた際に、「お母さんの作る、なべやきうどん」と答えました。


このブログではおもしろい本、映画、場所を紹介することを目標としているで、「冬に食べたくなるものが、うまく表現されている作品、なにかなぁ」と考えていました。


ありました、ありました。

耳をすませば [DVD]

耳をすませば [DVD]

みなさん、ごぞんじですね?映画の最後のあたり、処女作を世界堂のおじいさんに読んでもらったあと、おじいさんとしずくが食べているもの…なべやきうどんです。
寒い冬の夜、外でまっていたしずくのキィンと冷えているであろう体に、おじいさんのなべやきうどんは、きっと、体の隅々までほっこりとした暖かさに包んでくれたのではないでしょうか。


寒い日に食べる、あったかい食べ物は、心まで温めてくれる、ということをあらわしている作品だと思います。


皆さんは、何か思い当たる作品、ありますか?

布団のぬくもり

最近、めっきり寒くなってきたので、暇さえあればベッドに横になり、毛布でくるまれている。布団が重いほうが気持ちいい、と考えているので、時間があると「しめしめ」と布団にもぐっている。だれが言ったか忘れたけれど、「布団の大きさは、人が住むのに最低限必要な広さ」というのには、改めて共感しながら、うとうとする。


ベッドの中では、食べたり飲んだりはさすがにしないけれど、枕の横に本を重ねておいてしまう。そして、それがずり落ちていって、いつの間にか床に落ちる。これが目下の悩みだ。


しかし、今日、もっと重大な悩みがあることに気づいてしまった。それは、「出不精になりすぎている」ことだ。小さい頃から、外で遊ぶよりは、家でひとり、シルバニアファミリーや、リカチャン人形に興じるほうが好きだったけれど、最近は、ぼんやりと雑誌をめくったり、テレビを見ているだけ。さっき気づいたのだけど、今日はワタリウム美術館草間弥生展、3331アーツ千代田では、藤原新也展の最終日…。


がっくし、とは、まさにこういうときに使う言葉だろう。
今度からはせめて、新調した高橋の手帳に、展覧会の最終日は目立つように書き留めよう…。(でも、布団から、抜け出すのは、やっぱり至難の業)

『象の消滅』(村上春樹)

村上春樹の小説には、すべて「魔物」がすんでいる、と思っている。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991


いちばん好きなのは「眠り」という短編です。
世間的にみたら、幸福な専業主婦である女性。でも、ある日からいきなり眠れなくなってしまいます。まったく。しかも、それが苦痛ではないのです。彼女は、夜な夜な「アンナ・カレーニナ」を読みます。幼い頃、社会に出るための成長をしていいた頃のように…。


私は、眠ることが大好きです。「どんなに苦しい日でも、最後には眠りという幸福が待っている」ということを、江國香織さんが、どこかで書いていて「なるほど」と思った記憶があります。そんな、幸福を奪われた彼女。しかし、睡眠を失った彼女は、むしろ、健康で、家事、子育てだけに埋没する自分ではなくなるのです。


でも、それだけでは終わらないのが、村上春樹です。夜中に町にでた彼女の車を何者かにゆさぶられるシーンは、最初はトラウマになりましたが、繰り返し読むうちに、悲しみを帯びて、私の心に突き刺さります。自分の意識では、「逃げだしたい」「こんな生活、いやだ」という不満はなくても、気づかぬうちに、心の中にたまっている「ホコリ」のようなものが、ああして出現したのかなぁと思います。

東京膜(渡辺ペコ)、ストロベリーショートケークス(魚噛キリコ)

都会で1人で暮らすということは、寂しさと自由さとが混ざり合った不思議な時間をすごしていることなんだなぁと、いつも思います。
誰にも束縛されない、自分の好きなときに起きて、(授業には、そこそこ出て)好きなことをする。誰にも怒られない。
だけど、何か自分の身にあったとき、頼れるのはなんだろう?


不安、とまではいかないけれど、ちょっと、周りをきょろきょろしてしまう。
そんな気持ちになった時、読む漫画がこの2つです

東京膜 (クイーンズコミックス)

東京膜 (クイーンズコミックス)

ひとつめは、こちら。私、渡辺ペコさんの絵と、妙に笑える表現が大好き。
都会の中でも、ゆるいつながり(だけど、心は、必要最低限以上につながっている)関係が描かれています。
1番好きなのは、チャコちゃんという彼氏に振られて、自棄酒をしていた女の子と、奥さんが家出してしまったサラリーマン2人がともに過ごす夜のお話。
卓球をして、汗を流して、朝一で定食を食べて帰るというストーリー。
一歩間違えれば、危ないことも起きかねないのに、名前も知らない人を信頼して、お互いの傷を癒しあう…。こういう関係、いいなぁと思います。
近すぎる人からの慰めよりも、こういった、ちょっと距離のある人に癒してもらう、という形、実は、いろんな人が必要としていることかも。


Strawberry shortcakes (フィールコミックスGOLD)

Strawberry shortcakes (フィールコミックスGOLD)

2つ目はこれ。映画化もされていますね。
初めて読んだ高校時代、私は登場人物の中で「ちひろ」がいちばん遠い存在でした。
かわいい容姿のちひろは会社では友達と思っていた同僚に、陰口をたたかれていたり、
彼氏に大切にしてほしいだけなのに、その気持ちが、強すぎて「重い」女になってしまったり…。そして、今まで大嫌いだった田舎に、思いをはせて、最後には実家に帰る。



私、上京して一人暮らしを始めてから、この漫画の中でいちばん気持ちが分かるようになったの、実は「ちひろ」なのです。自分は、こんな人間のはずはなかったのに…。小さいころは、もっと可能性にあふれていたのに…どうして、今、私はこんなところで苦しんでいるの?という気持ち、痛いほど分かります。

とるにたらないものもの(江國香織)

江國さんは、すっと心地よい生活が、どういったものか分かっている方なのだなという印象を受けます。


とるにたらないものもの (集英社文庫)

とるにたらないものもの (集英社文庫)

私の好きな言葉に「神は細部に宿る」という言葉があります。
細かいところにこそ、職人の技術などは生きる、という意味だと思うのですが
江國さんの、ささやかなものへの、やさしい眼差し、とてもあこがれます。


いちばん好きなのは、かばんに関する記述です。
江國さんは、大きなバックが好きだったそうですが、その後、大きなバックは必要ない、文庫本、口紅、鍵さへあればいい、という考えにいたったそうです。


私も、幼い頃から、本を2〜3冊かばんにいれてないと、不安でしょうがなかったです。
ですが、散歩することが好きになってからは、身軽であることを大切にしています。


ちなみに、かばんは、持ち主の不安を表すそうです。かばんに沢山つめている人ほど、不安を感じている傾向にあるとか…。

かばんの軽さは、その人の身軽さも表しているのかも知れませんね。


中学生のころ、初めて読んで以来、「最近、心がすさんでるなぁ」と感じたときに、読み返します。心がすさんでいるときは、家事もおろそかで、忙しくも無いくせに、忙しいフリをしているときが大半なので…。生活に対する、正しい目線を取り戻す、教科書のような存在です。





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寒い日に食べたい、あったかーいもの

今週のお題「寒い日に食べたい、あったかーいもの」

今は一人暮らしで、ほとんど外食、出来合いのものが中心の食生活を送っています。
そうなると、やはり、よく食べるもの(揚げ物、ファストフード、お弁当)と、ほとんど食べないもの(ロールキャベツなどの手の込んだもの、魚料理)のにハッキリ分かれてしまいます。

そういった生活の中で、「あぁ、あれが食べたいなぁ」と思うものの大半は、やはり、母の手料理です。揚げ餃子、秋刀魚、チンジャオロース…。数ある料理の中でも、寒い日に、アパートで思い出すのは「鍋焼きうどん」です。

もちろんスーパーでも鍋焼きうどんは売っていますが、母の手の込んだうどんには、勝てません。水分を吸って「くたっ」とした麺。やわらかくなったにんじん、ほうれん草、そして、半熟の卵!

小学校時代は、登下校に徒歩で30分、中学校は自転車で15分かかったので、冷えた体に、鍋焼きうどんはとっても優しく、体に染みました。風邪をひいた日に、だるい体で炬燵に入って食べた鍋焼きうどんも、懐かしい。


振り返ってみると、鍋焼きうどんは、このように体をあっためてくれるとともに、心もあっためてくれていたのかな、と思います。寒い夜に、ヒーターをつけて、ずるずるとみんなでうどんをすすりながら、1日の出来事を語る夕食。


今年もあと1ヶ月。年末に帰省する際には、母に「鍋焼きうどん作って!」とおねだりするつもりです。